素顔のヨーロッパに出会える町
リエージュ

西欧の十字路として栄えた古都


  アルデンヌ地方を旅する時に、その玄関口となるのがリエージュだ。パリから ドイツのケルンに向かう鉄道と、ブリュッセルからルクセンブルクへの鉄道が 交わるこの街は、まさに西ヨーロッパの十字路。古くから交易の中継地として 繁栄してきた。

  この古都を巡るには、旧市街の中心にあるサン・ランベール広場から始めよう。 この広場を中心に、半径500メートルほどの所に主な観光ポイントが集まっている。 広場の北側にそびえているのは、かつての君主司教の住まい、プリンス・エベック 宮殿だ。16世紀に建造されたルネッサンス様式の建物で、現在は州政府庁舎や裁判所 として使われている。

  広場から東へ歩いていくと、5分ほどで聖バルテレミー教会が見えてくる。ひっそ りと静かまりかえった堂内の一角には、12世紀の細工師レニエ・ド・ユイによって 作られた「洗礼盤」が置かれている。ベルギー七大秘宝のひとつで、聖書の5つの 洗礼場面が浮き彫りにされた見事なものだ。

  続いてワロン生活博物館へと向かう。アルデンヌ地方を含むベルギー南部は ワロン地方と呼ばれるが、ここにはワロンの民俗・歴史が理解できるようにと、 日用品や家具、手工芸品など様々な品が展示されている。リエージュに数多くある 美術館や博物館のなかでも、ぜひ訪れたいところだ。

  ところで、ベルギー北部のフランドル地方ではオランダ語がは話されているのに 対し、ここワロン地方の公用語のフランス語。この複雑な言語事情の起源は、 ローマ時代にまでさかのぼる。ジーザーがガリア地方(現在のフランス、ベルギー) を征服した際、ゲルマンの領域にとどまったのがフランドル地方で、一方ワロン 地方はローマ領としてラテン化していった。この言語・文化の違いは、言語戦争と 呼ばれる対立をひきおこすなど、ベルギー社会に大きな影響を投げかけている。

古いたたずまいを残す町並みを歩く


  ワロン生活博物館のすぐ東に、山の上の城塞路へと続く階段がある。両側には びっしりと家々が建ち並び、さながらミニ・モンマルトルといった雰囲気だ。この 上に住んでいる人はたいへんだろうなと思いながら、373段もの石段ひたすら登る。 息をはずませようやく頂上にたどり着くと、眼下にはミューズ川に抱かれた リエージュのパノラマが広がっていた。

  夕闇が迫る前に町に戻り、旧市街を散策する。古びた石造りの建物と石畳みの 道を残す町並みは、しっとり落ち着いた風情がただよう。市場は夕食の買い物を する主婦でぎにわい、町角のビストロでは仕事を終えた男たちが1杯のビールを 片手に語り合っている。歩いているうちに教会前の広場に出た。野外に並べられた レストランのテーブルでは、家族連れやカップルが楽しそうに夕刻のひとときを 過ごしている。

  かつてはワロン地方の中心都市として、近隣の鉱物資源とミューズ川の水上輸送 をバックに重工業で栄えたリエージュは、ながらくベルギー国内での政治力も強かった という。しかし最近では、フランドル地方でのハイテク産業の台頭により、その立場 は相対的に弱まってきている。だがこうしてリエージュの街で見たものは、長い 歴史によって育まれた伝統の中で、ゆったりと生活を楽しんでいる人々の姿だった。 観光地化されていない、人々が穏やかに暮らすこの街で、素顔のヨーロッパに 出会ったような気がした。


この記事は田中瑞穂さんの記事から写しました。
柳パブ郎@RTFM